私はただの一度もあなたに 「好き」と言うことができません
でした。
好きで好きでたまらなくて...
愛していると想っていても 言葉は伝える術にはならなくて...
想いが強くなればなる程 その一言を冗談としてでも 口にする
ことができなくて―
同じようにあなたを 名前で呼ぶこともできませんでした。
あなた以外の人に対しても 自分の心の中でも 何度も口にして
繰り返していたあなたの姓も名前も あなたに対してだけは
言うことができなかったんです。
きっと今でも 私達の間に存在していた愛称でしか 呼ぶことが
できないと思います。
そしてあなたも...
私の名前を呼んでくれたことは 一度もなかったと思います。
いつでも私は「お前」と呼ばれていて...
あなたに「お前」と呼ばれることに 喜びさえ感じていたんです。
交流が途絶えて何年か経った時でさえ 偶然出逢った夜の国道で...
あの時もあなたは躊躇いも見せずに 「お前」と呼んでくれました。
私も戸惑いもなく 自然に返事をしていました。
時の流れを超越して 心はあの頃へと引き戻されて...
あの夜のたった数語の近況報告が 今でも耳に残っています。
あなたの声も...
あなたの笑顔も...
そのままで目の前にあった夜―

あなたと一緒に行った湖のことは 今でもよく覚えています。
夏の緑に包まれた景色が 水面にキラキラと輝いていて...
私達 毎日のように会っていたけれど デートらしいデートなんて
したことがなかったように思います。
毎晩のように通った居酒屋も 生活の一部のようだったし...
渓谷へのピクニックも 私の両親と4人で出かけたし...
だからあの昼下がりに立ち寄った湖が 初デートのように感じられる
のです。
あの時 どんな話をしていたのかしら?
会話というものがどうしても思い出せなくて もしかしたら私達
会話なんてしていなかったのかもしれませんね。
私の耳に残っているのは 歩道の小石を踏みしめる音と...
時折 風に乗って聞こえてくる小鳥のさえずり。
私の目に残っているのは 木々の緑よりも深い 鏡のような
湖の蒼と...
夏の陽の光と同じ位 輝いていたあなたの笑顔―