誘うのも電話をかけるのも いつも俺の方だった。
彼女からは一度も…なかった。
彼女に断られたあの夜に 俺の運命も変わってしまったのかも
しれない。
「今夜は一人で過ごしたいの。」
受話器の向こうのシャワーの音を ぼんやりと聞いていたのを
覚えている。
「他の男に抱かれるんだろ。」
カチリと切れた電話の後に 自分の声が虚しく響いていた。
腹立たしさに抱いた女が今の女房で その結果が五歳の娘とは
皮肉な話だ。
あの夜がなかったら 俺は彼女と今も生きていただろうか…

懲りもせずに誘った俺を 彼女は拒みもしなかった。
彼女の存在を確かめるように 抱きしめた腕に力がこもる。
服を脱ぐのももどかしく 俺は彼女が欲しくてたまらなかった。
唇に赤い紅の色がなくなるまで むさぼるように唇を重ねていた。
かすかに漏れる甘い吐息に 胸の鼓動が痛い程に速くなっていく…
「…好きよ。」
そのささやきが 今でも耳に残っている。
たった一度のその一言が 忘れられない―

どうしたら彼女を 自分一人のものにできるのかと そればかり
考えていた。
寝ても覚めても いつも彼女のことが心を占めていた。
それなのに…
責任という言葉の重さに負けて 俺は望まない結婚と同時に
故郷を離れた。
別れの場面もなにもないまま 彼女は俺の中から消えてしまった。
いいや…
忘れてはいない。
忘れられもしない。
だから 終わってしまったとも思えない。
けれども二度と 触れ合うことはできないとわかる―

小さな涙型のイアリングの赤い色が…
柔らかい唇を彩っていた口紅の赤い色が…
彼女を思い出す度に 今でも脳裏に焼きついて離れない。